プロフィール


Ryuzo profile

竜三プロフィール

■幼少期
私が生まれたのは、幕末の偉人橋本左内生誕の地(常盤町現在春山2丁目)です。物心付いたころから祖父に連れられて、毎年春(4月11日)に行われる誕生祭に行きました。当時は難しいことは分からなかったのですが、昔 自分の家の隣に日本を動かす偉い人が住んでいたという記憶と何か誇らしい気持ちを持ったものです。立たされている竜三少年

幼稚園のころは、先生を手こずらせるほど遊びまわっていました。ガキ大将の部類だと思います。近所のお寺を縄張りに、暴れまわっていたため、とうとう先生に捕まって仏壇の奥の狭い隙間に押し込められたりもしました。
■少年期
竜三少年もともと人の先頭に立って、何か新しいことをやりたいといつも思っていましたから、中学、高校と生徒会長に立候補し当選しました。(この時代の経験が私の政治家への人生を歩ませたことになります。)当時の高校の文化祭では、火を使う屋台は禁止されていたのですが校長先生に掛け合うやら、市の保健所に交渉に行くやらして「たこ焼き屋」「お好み焼き屋」を強引に出店しました。(かなりの繁盛で、行列が出来ました。)
坂本龍馬に憧れる竜三青年近所に昔、橋本左内が住んでいたということもあり、潜在的に幕末の志士に関心が強かったのですが、中学校の2年生ぐらいから特に興味が湧いてきました。同級生が中間試験だ定期試験だ、受験の模擬試験だといった試験勉強で徹夜しているのを傍らに、大学時代の空手部での様子「坂本竜馬」や「勝海舟」などを何度も何度も読みました。そのせいで大学受験に一度失敗し、予備校に通うことになりましたが、しっかり近所の映画館で(今でもあるメトロ会館)上映された「竜馬暗殺」はセリフを全て覚えるほど何度も見ました。
■成年期〜現在
松下政経塾に入塾松下幸之助翁が作った松下政経塾に入り、全国から集まった政治家を志す若き塾生たちと日本の政治、世界に通じる外交、日本経済の明日を学び、夜を徹して口論し、政治家としての基礎を学びました。

当時健在だった松下幸之助翁から「現場主義」「時代にふさわしい政治」の2つの教えを特に強く教えられ、外から日本を見ようと、アジア各国を訪問し、沢山の人たちの考えを聞いて歩く旅を続けました。

訪問するその後、平成2年の衆議院選挙に果敢に挑戦しましたが、9名立候補で最下位の得票で惨敗の憂き目に会いました。「知名度がない、金もない」の八方塞がりでしたが、「絶対衆議院議員になって日本の政治に参加してやる」との思いは逆に強く湧いてきました。落選したその日から、次期選挙に向けて草の根の活動を開始しました。(当時、訪問した家の奥さんから「まだやっているの」といわれたときはとてもつらかったです。)

当選したささき竜三平成5年の選挙では、若い人からお年寄りまでいろいろな年代の人たちが、「バブル崩壊後の沈滞した日本はこのままではいけない」との思いから、笹木竜三に「若さと行動力で日本の改革」を期待して応援して下さいました。
 
その後、細川政権の一員として活動しましたが、1年もたたないうちに総辞職になってしまい、その後結成された新進党に参画し再選を果たしました。(細川総理の辞任当日は、なんとなくうわさを察知しながらも、「そんなことあるはずない」と思い、東京駅から新幹線に乗りこみましたが、新横浜の手前で緊急連絡が入り、下車しあわてて国会に戻りました)

松下政経塾国会議員の会(会員15名)の会長として、公務員の天下り先の特殊法人の改革をはじめとする税金のムダを無くそう、地方経済や町づくり活性化と、新しい法案づくりに取り組みました。
 


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