毎週ラジオ出演中

聞き手  いつ大きな話題になるという訳ではないんですが、いつも言われ続けているのが、「教育というのは50年100年の計なのだ」と。これを国家としてちゃんと考えないことには後々大変なことになるという様なことが言われ続けています。そんな中で今教育現場の荒廃ということも問題になっていますが、今日は教育に関するお話です。


悪平等? 金太郎飴? ゆとり?

笹木  再来年、2004年の4月から、この福井県でも学区制がなくなります。学区制というのは、今ですと普通科の場合福井県が4つに分かれているわけです。それが2004年から入学する人は奥越からでも福井市の高校に来ることができる。福井市からでも、まあちょっと遠いですけれども嶺南の高校でもいけると。入学試験はありますが、志望は全県どこでもできるようになる。これは全国的な流れで、例えば東京などでは小学校・中学校でも通学区を廃止しています。そうすると、かなり人気がある学校とない学校の差が出てくる。いろいろ特徴を出そうということで、世の中科というようなのをやっている学校もあります。成績がいい者がそのまま世の中に役に立つわけじゃあない、そのギャップを埋めるような色々な授業を始めている。そういう事例も出てきています。この学区制の廃止、目的は2つあって、ひとつはこの50年以上やってきた教育がかなり悪平等だったのではないかということ。外国の人がよく笑い話にしているらしいですが、福井県ではないけれども、例えば体育祭、運動会で「よーいドン」で走ってきて、ゴールのちょっと前5m位前で待っていて、一緒に手をつないでゴールをする。なるべく競争意識を煽らない。結果的にあまり差も見せない教育をずっとやってきたけれども、これがかなり弊害が出てきているのではないか。もうひとつはどの学校も特徴がない。もっと特徴を出さないといけないのではないかということです。ところで、色々なデータがあるんですが、受験とかの勉強がやりすぎで競争が有り過ぎる。それをなくそうということでやってきたとお話しましたが、実際は日本では小学生・中学生の40%が家庭で勉強を30分もしない。韓国とかアメリカが20%台10%台。今よく「ゆとり教育」といわれますが、インドは最近人材がどんどん出てきている。日本は九九、9×9、81までを憶えますが、インドでは19×19まで、361ですか、ここまで憶えさせるわけです。そうすると確かに色々な計算とかそういうことについては暗算できる範囲が広がるわけです。だから日本は「ゆとり」といっているけれども、世界中はそれとは逆で、むしろもっともっと勉強させようとしている、そういうギャップがある。

聞き手  それぞれに優劣をつけるということ自体が疑問視される時期があって、それがまず学区制を生んだわけですよね。学区制を生んでその地域の学校に行きましょうということが決まったわけですが、結局それもよくなかった。ある種元に戻す形でもあるわけですよね。それは反省の上にたって元にもどして、それでは昔のままでよかったのか。昔だって反省して変えてきたはずなのに、また反省して元にもどしてしまうだけというと、なんだか進歩のないことをやっているなという印象を受けるんですが。


競い合いの中で自分の社会的特性を伸ばす

笹木  例えば昔に比べて変化というのは、色々な能力があるということだと思うんです。どちらかというと未だに偏差値というか、いい大学に入る、偏差値の高い大学に入る、そのための教育というのがすごく比率が高いと思うんですけれども、さっきもお話しましたが、必ずしも偏差値が高いという、そういう能力を持っている人だけが世の中にとって役に立つわけではないし、実社会では学校の勉強はあまりよくなかったけれども商売で成功している人もざらにいる。あるいは表現力がすごい人、あるいはリーダーシップがある人、人格が非常によくて成功している人もいますよね。だから、要はそれぞれ持っている能力、個性というものがあって、その能力を充分に活かせられるような教育にするかどうかということが大事だと思うんです。ただし、実社会においても競争というものはあるわけですから、競い合いの中で鍛えられるというのはそれぞれの分野で必要だと。スポーツでもあっていいし偏差値でもあっていいし、今言ったそれ以外の能力でも。経営的な能力を持っている者もいるだろうし。それがそれぞれしっかりと競って伸ばせるような体制、そのためにいろいろな学校が特徴、特色を出せるかどうか。今そういうふうに変えようということだと思うんです。

聞き手  なるほど。ただこれに関しては教育の問題だけではない、色々な可能性があるというのはよくわかるんですが、昔からよく言われているのは、じゃあ日本の教育制度の根本、一番よくないところはどこなんだというと、その順列をつける、1番頂点に東京大学があるというふうにいわれますよね。日本では1番いい大学はどこというと、もう大人から子供まで皆東京大学というふうに答える。これはなぜかという風なことになると、そこから官僚になる方が多いからというのがひとつの理由だとは思うんです。そうすることで大学に序列がつく、そのためにその大学に入るための高校に序列がついたり中学に序列がついたりというふうな事につながっていくんじゃないかということもいわれています。文部省においでになる寺脇健さんでしたか、学校の5日制などを提唱されてお進めになっている、そういった方も同じように、「いい学校に入っていい会社に就職することだけがいいことではない」というふうにおっしゃるのを聞いたことがありますし、実際に質問をぶつけた時に、「寺脇さんどこの大学出たんですか」と聞いたら、東京大学ですとおっしゃる。まあそういうふうな庶民にとってみればジレンマがあるというのも事実は事実ですね。


要は自分の考えで選べるかどうか

笹木  ただ、時代が変わってきて、例えば30年前40年前に比べても今言った偏差値的に高い大学に入ると一生保証される、という割合は非常に少なくなってきている。国家公務員試験ですとか資格試験を取る場合にはいい大学に入っている方が有利かもしれませんけれども、それ以外ではいい大学出ても上手くいっていない方が増えてきている。これからまだまだ出てくると思うんですね。さらに、今までの日本の教育に欠けていたものがあるとしたら、これはイギリスのサッチャー元首相に東京で会った時に彼女が言っていたんですが、結局自由経済とかビジネス競争が激しくなればなる程、お金を越える価値をしっかり教えているかどうか。それがないと自由社会とかビジネス社会というのは全く倫理がなくて中から崩れていくと。だからそれをしっかり教えないといけない。実際にイギリスだけでなくヨーロッパでもアメリカでも宗教教育というのは必須で小学校からやっているわけです。どの古典的宗教を選ぶかは選択で自分で選ぶわけですけれども、それ以外にも、社会人として教育っていうものももっとやらないといけない。そんな中で要は選べるようになると考えればいい訳です。それぞれ個性がある。能力も違いがある。それを伸ばすためにどこが1番いいのかと。だから確かに序列はあるんですけれども、こっちの教育を選択する側、受ける側が逆にその序列とは違った発想で子供とか自分が学習していけるかどうか。あるいは選んでいけるかどうか。選んでいけば色々な学校が能力を、個性を伸ばそうとするし、実際今、東京都で小学中学でかなり個性を出そうと、特徴を出そうと今までよりは多様化してきているんです。

聞き手  これまで日本人というのは戦争に負けてから経済力をつけるんだと、で今おっしゃるところの、お金にひとつ置き換えられるんじゃないかと。これはいい悪い別にして、お金を貯める、経済力を持つことがいいことだというふうなことを前提にしようというふうにしてここまで進んできたように思うんです。それをいきなり捨てろといわれて捨てきれるかどうかということを考えると、案外できるんではないかと思うときもあるんです。というのは戦争に負けた時だって一夜にしてそれまでの価値観というものがひっくり返って、それによって立ち直ることができた国民ですよね。鎖国を解いた時だってそうだったんではないかなという気がします。これまでの価値観を全て置き換えて、欧米に追いつけ追い越せというふうな事ができたんだろうと思いますが、そうなってくると後は強いリーダーシップを取れる人がきっちり現れてきてその人が本当にひっぱてくれるかどうなのかというふうにも思うんです。

笹木  そうですね。それと、学校の校長先生がもっと自分の思いで、自分の学校はこういう教育方針でいくと。それでそのまま特徴を出せるように。例えば教育委員会とか文部省とか色々細かすぎる注文が今まで続いているわけですから、それを変えていかないと駄目でしょうけれどもね。

聞き手  だから国から地方への分権というふうなものが進んでいくよといわれているように、全てが文部科学省のお伺いを立てる形ではなくて、校長先生がこれはこうしようああしようというふうなことを権限を持って決められなくてはいけないんですかね。

(文責:ささき竜三事務所)